創作・表現活動を実際にしている立場として、それ自体が生業になるということは一つの理想ではあります。
当たり前ですが、実際に創作活動だけで生きていくことは至難の技なのですが、私自身の体感からそれはどのような構造であるのか、ちょっと考えてみました。
上の表にあるように、全ての創作・表現活動はアマチュア活動から始まります。いきなりプロから始まるということはあり得ません。
スキルを積み上げ、仕事のクオリティを上げることによって、その人や作品の評価が高まり、対価を得ることが可能になっていきます。
このアマチュア活動から仕事に変わるタイミングはもちろん状況やその人のレベルによって、大幅に差がありますし、そもそも仕事に変えることが出来る人はごく一部の人たちだけの話であり、ほとんどの人は到達することが出来ません。
いわゆる芸術の世界では、新規性や実験性が高いほど、仕事として成り立つレベルはさらに跳ね上がります。
もっと、今ウケていてマスに対して需要があるものであれば、対価を得るためのハードルは下がっていくことでしょう。
この表の一つのポイントは、アマチュアとプロの世界は厳然と分かれるようなものではなく、あるラインからグラデーションのようにその領域が混じり合うということです。
この趣味と仕事の微妙な領域では、対価を得ることもあるけれど、そのための出費も多く、残念ながらその対価だけでは生活をすることは出来ません。
同じことをしていても、お金を払う立場からお金を得る立場に変わる、というのは一見するとおかしなように思えます。
なぜなら、普通の人の感覚では、仕事と遊びは違うものであり、仕事はお金を得られるが、遊びはお金を払うからです。
しかし、私はそれはちょっと違うのではないかと最近感じています。
創作活動だけでなく、一般的な社会の仕事に敷衍して考えてみましょう。例えば、何か趣味でスポーツをすれば通常それはお金を払うことになりますが、その頂点にはプロスポーツの世界があり、プロ選手として対価を得て生活をしている人たちがいます。
それはあまりにもレベルが違い過ぎるので、そのような人たちと結びつけて考えることは普段しないというだけです。
もう少し、地味な世界を考えてみると少しイメージが湧くかもしれません。
家具を作るのは通常仕事です。しかし、自分の趣味でテーブルや椅子を作りつつ、趣味が高じてそれがあるレベルを超え始めれば、他人にそれを売ることが可能になっていきます。
このようなことはこれまでの時代では非常に難しいことでした。
なぜなら、何かモノを売るには宣伝しなければいけないし、展示したり、販売の管理をしたり、配送したりしなければいけません。商売するには作る以外のたくさんの面倒なことがあります。
しかし、IT化はそのような面倒なことの負荷を減らしてくれています。
そうすると、これまで「仕事」と「遊び」、というように二つの感覚が別ベクトルを向いていたものが、だんだんと同じベクトルを向くようになっていくのではないかとそんなことを感じているのです。
創作・表現活動においては、そういう感覚は昔からそれほど変わりなかったのですが、それが社会全般、仕事全般に言えるようになっているのではないか、極端に言えば、多くの仕事は趣味から始めることが出来る、とも言えるのではないでしょうか。