2001年11月24日土曜日

菊と刀/ルース・ベネディクト

この本は日本人論の超古典とも言われていて、出版が1946年ですからもうすでに50年以上も昔のものです。
アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトによって書かれたこの本の執筆の経緯は、この本を貫く姿勢を理解するためには非常に重要な要素となります。というのは、この本の執筆の依頼は、太平洋戦争時のアメリカの戦時情報局によるものだからです。アメリカは戦争中、日本軍、日本兵の取る行動に、そしてその価値観に大きく戸惑いました。そして、今後戦争を続けていく上で、また戦争が終わった後処理をする上で、日本人のメンタリティを学術的に研究すべきだという考えに達したのです。白羽の矢が立ったのは、当時アメリカの代表的な人類学者であったルース・ベネディクト女史、そして、この本こそが彼女の研究の成果であるわけです。

この本の題「菊と刀」は、冒頭の章で以下のように現われます。まず日本人の相反する行動を列挙した上で
「ところがこれらすべての矛盾が、日本に関する書物のたて糸と横糸になるのである。それらはいずれも真実である。刀も菊も共に一つの絵の部分である。日本人は最高度に、喧嘩好きであると共におとなしく、軍国主義的であると共に耽美的であり、不遜であると共に礼儀正しく、頑固であると共に順応性に富み、従順であると共にうるさくこづき回されることを憤り、忠実であると共に不忠実であり、勇敢であると共に臆病であり、保守的であると共に新しいものを喜んで迎え入れる。」
つまり、日本人が様々な状況で見せる二面性(もちろん西洋的な発想に基づくものですが)の一つの象徴として、菊を美しく飾ろうとする日本人の美意識と、刀を持ち好戦的であるその態度を対比しているのでしょう。
著者は戦争相手でありながら、日本の文化、習慣に対し中立な姿勢を決して崩しませんし、一つの民族として客観的になおかつ敬意を払いながら記述していることが伺われます。しかし、そのような文章の表面的な意味の裏に、どこか未開民族の不思議な習慣を論じているような態度が若干垣間見られるのは確かです。そしてそういった態度が、恐らくこの本を日本の知識人がもろてをあげて賞賛しない原因の一つでしょう。また、この本を読んだあと多くの人が何かしらの反発感を覚える遠因となるに違いありません。



それでもなお、この本は私にとって実に面白いものでした。

著者の論理は、若干の飛躍はあるにしても実に明快です。あまりに多くの「それ、わかるわかる」の連続に思わず苦笑してしまいます。

例えば、日本人はおのおのが「ふさわしい位置」に応じた行動を要求されます。そのような「ふさわしい位置」とは、著者に言わせれば階層制度ということになるのです。無論、日本は建て前上、既に身分制度はありません。しかし、性別、年齢、役職に応じて詳細な敬語、挨拶などの慣習があり、この階層の秩序を守ることに大変にこだわります。

たいていの社会の階層制度では、その階層の頂点が最も大きな権力を握ることになります。しかし、日本では最高権力者が暴君になることはないのです。建て前上の階層制度の頂点と実際の権力者が違うことがありますし、また階層のトップにいても、下のものに対して十分な配慮を行わないと、大きな反発をくらいます。

そういった欧米人にとって不可思議な階層状態の例として、百姓一揆の例を出しています。江戸時代、徳川幕府は世界に類をみない完璧な階層構造の社会を実現させますが、実はこの間百姓一揆は少なくとも千件以上はあったと言われています。彼らの苦情は正当なものであるとみなされれば幕府は農民に有利な裁定をすることもありました。しかし、その場合でも一揆の首謀者は厳格な階層制度の掟を破ったかどで死罪にならなければいけないのです。それは、彼らの主張の正しさとは何の関係もないのです。農民はこれは避けがたい運命とあきらめ、死罪になった指導者を英雄としてあがめました。
明治維新ののち、明治新政府ではこの階層構造の頂点に天皇を持ってくることにしました。日本では表向き宗教の自由をうたっていたものの、国家神道という国立機関によって宗教的、精神的階層構造を作り上げたのです。

いずれにしても、この階層構造を考えながら社会を秩序だてていくのが日本人のメンタリティであり、この「ふさわしい位置」が保たれていることが個人の大きな安心につながっていると著者は論じます。

その他の話題としては、「恩」がまるで欧米の借金の負債のような概念で捉えることが出来ると論じている点です。人に対して善いことを行うとは、欧米的価値観ではなんの見返りも期待しないことです。ところが、日本人はそのような「恩」を必ず返さないといけないと考えます。そして日本人にとっての徳とは、この恩を返すという行為を主にさすわけです。この「恩を返す」ことを、この本ではその対象によって様々な分類をしていますがここでは特に触れません。しかし、階層構造とは無縁な立場の人から「恩」を受けたとき、日本人は「義理ほどつらいものはない」と言って、この「恩」を返し負債を無くすことに心血を注がなければいけません。このとき、日本人は「恩」を受けたにも関わらず、義理を返すことが不愉快に感じることもしばしばなのです。

また、この義理には「名」に対する義理、という概念も現われます。つまり自分の地位、名誉、階級に対する義理であり、自分の地位や立場を汚した場合、何らかの責任を取らねばいけないということです。しばしば地位の高い人が何がしかの問題で責任を追及された場合に自殺することがあります。これは過度に名に対する義理を感じたからに他なりません。このような状態は、失敗することを恥辱と感じる感覚を生み、ひいては失敗を許さない環境に発展していきます。逆に、だからこそ我々は細心の注意で失敗しないように念入りにことを運ぼうとします。

他にも、「罪の文化、恥の文化」とか、おおらかな性とか、ハッピーエンドより悲劇を好む文化とか、面白い話題がたくさんあります。また、戦後すぐに出版されただけあって、戦時の日本兵の様々なエピソードも挿話されています。しかしさすがに50年前こと、今の日本では考えられないような古い日本的しきたりが例に出されていたりするのは仕方がないのですが、それでも日本人の本質というのはそうそう変わっているものではないんだな、と改めて認識しました。



日本的なものをいけないというわけではありません。ゆるやかながら我々の価値観は欧米風に変わっていくのかもしれないけど、自分の中に刷り込まれた日本的なものを知るうえでは非常にためになる本なのではないでしょうか。